カテゴリー別アーカイブ: 初体験のこと

ミラノにて、しばしの休息

本来ならば、ここは乗り継ぎの為3時間弱の滞在の予定でした。

ロンドンからミラノまではイージージェットを使い、

ミラノからはアリタリア航空で

そして日本へ、、、

ミラノで一旦荷物を受け取りもう一度チェック イン しなくてはいけない

という、、、ちょっとだけ面倒ですが、

凄く安かったので、

これで 行ってみよう〜 !

と思ったのでした。

ところが2日ほど前の夜8時頃

アリタリア航空から一通のメールが届き、

なんと14日はキャンセルになり私のフライトを13日に変更するって!!!

いや、そんな事言われても

その日はまだロンドンに居るのです。

なんでキャンセル?! 

ダブルブッキングしたんじゃ無いか?

という周りの推測と、ダメだよ妥協したら、絶対ダメって言わないと! と言われました。 笑

すぐに電話をしてみました。

オーぺレーターに繋がって、

聞いてみると

ストライキ をするから、

だそうです。(イタリアやフランスでは、よくあるみたいですね、しかも初訪問で起きたか!)

でも、

私13日はロンドンで14日のお昼ににミラノに着くんだから13日は無理です。

と言うと

そんなこと言ってもストライキなので、

と言うので

変えるなら15日にして下さい

と頼みました。

それでも良いと言うのですが、

私が「 では、その日のホテルを用意してくれますか?」と言うと

それはしていません。

と言われました。

でも、EUのルールでしょ?

と言うと、

それは空港に着いてからカウンターで言ってくれ… と言われました。

でも、ホテルは今まで払ったことは無いとオペレーターの女性の方は言っていました。

でも、EUの規定を読むと ストライキやキャンセルやディレイしたらホテルや食事など保証してくれるはずなのです。

そして、ロンドンからは20分早く着き

ターミナルも移動して

カウンターへ行ってみると

誰も居ない!

インフォメーションのカウンターで聞いてみると、

ストライキで今日はアリタリア航空のスタッフは誰一人いないそうです。

… でたよ〜  

でも今日の飛行機を明日に変更されたから今夜のホテルとか手配して欲しかったけど、、、

空港で聞いてって言われた、と言うと

苦笑しながら、でも 誰もいないからそれが問題なのよと言ってました。

とりあえず自分で払って後でインボイスを送った方がいい、と言われました。

(実は去年もカナダ行きの飛行機が6時間遅れ飛行機代が戻ってきました! だから、、、今年もか!)

ふーん、、、

で、なんでストライキなんかするの?と聞くと

会社がもう傾いていて転売されるらしく、その待遇のことで不満があるらしく、それに対する抗議だそうです。

そうですか〜

インフォカウンターのお姉様に

ご不便をかけますね〜 的なお言葉をいただき、

さて、じゃぁ どこに泊まろうかなーっと探していたら

あー可愛いなって思うところはシェアバスルームだったり10キロ近く離れていたりして

この時、私は大きなベッドで 寝たいー

と思い、 それから12:30頃までに空港に着けば良いので12時チェックアウトでシャトルバス サービスがあるところが良いな

と思っていたので

10分くらいで着くホテルに決めました。

口コミも良いし 朝食も付いてて美味しい、と書いているので

クィーンサイズのベッドの部屋にしました〜 (一人だけど。)

12時チェックアウトだし ラストのシャトルバスは12時なので

朝ゆっくりだー!

という事で、初イタリア 散歩をしたら、のどかな感じ

お店はあまりありません。

でも 綺麗な夕日が観れました!

そして、翌朝 シャトルバスではなく 普通の車で送ってくれました。

空港で、カウンターの方に昨日のその旨を伝えると、なんと日本人の受付の方がいて、その人に話すように言われ、日本語がしどろもどろになりながら聞くと、日本のサイトからリクエストができるそうでした。昨日のストライキの成果はあったのだろうか? そうであってほしいですね〜

18年前を振り返る日

18年前の2001年の9月11日は

トルコのイスタンブール、ブルーモスクを訪ねていました。

この年の8月末近くにトルコに着いて、お友達が合流するまで

カッパドキア と言うところに滞在し

丁度数日前にイスタンブールへ戻って来たところでした。

そして この日から1週間 どこへも移動が出来なくなり、

予定していた「陸路でエジプトまで行く」と言う予定も変更しなくてはならなくなりました。

その結果、紅海で初ダイビングする筈がカリブ海でダイビングし

(懐いて飼い主の家を出てボートにも乗るようになった海で泳ぐのが苦手なキャシー)

そこに4年近くも住むことになるなんて!

(猫が住み着いたり)

そして、「まり」= 「海」と言うイメージが定着している私が

イギリスでフェスティバルのお手伝い?

みたいな。

でもね、旅を始めたその頃に

10年後は色々な海でダイビングの仕事をしていられたらいいなぁ〜 って思っていました。

そしてそうなっていました。

で10年経って 更にその先は? ( 今はもう5年後とか3年後でもいいかも?)

日本にもちょくちょく帰ってこれて

2ー3箇所くらいに拠点が持てたらいいなぁ〜って

願うと言うことは もう既に用意されているそうですよ!

だったら、そうなったらいいなぁって方に意識を向けた方がいいですよね。

でも、絶対こうならなきゃって願うより

願ったことすら忘れてるくらいの方がいいみたいです。

いろんなタイムラインがあるのでしょうね。

やりたい事 行きたいところがあって、予定を入れていると

行くべきところや 事は スイスイと予定が立ちます。

そうでは無いときは、繋がらなかったり、修正が入りますから、

あれ?これはNoのサインかな?ってわかるようになってきます。

この先 私はどこへ行くのでしょう?楽しみです。

満月を迎えて、手放してみた

あっという間に今年も半分過ぎて、もうすぐ夏至を迎えますね。

私は最近、自分が自分に植え付けた ある種の思い込みがある ことに気がつきました。

で、、、 もうそう言う気持ちになるのは手放そう!

そう決めたら、

なんだか気になることは心で「?」と思っているだけではなく

正直に聞いてみたほうがいいな

と言う思いが湧き

ただ、相手を責めるのではなくて

疑問に思うことを投げかけてみたら

スルスルと相手から状況の説明や気持ちがわかって

なんだかスッキリしました。

で、それと

最近 色々と動き過ぎて疲れたのでゆっくり休みたいなぁ って思いつつも

何かしたいのです。

したいけど、したい事がいくつもあって、どれも良さそうで 一個に決めれない。

で、3月に痛めてまだ回復していない肩が全てを引き止めている!

ってことで

まずはこれを癒そうと色々と調べた結果、

オステオパシーを受けてみようと思い

調べていたら

ロールフィングというのもおすすめ、

と言われて検索してみたら

なるほど良さそうです、 が

予想よりも高い!と言うことで

まずはオステオパシーを試してみようと早速予約を入れたのでした!

なぜここに来たのかの説明をしたら次は沢山 健康面の質問を受けて、

その後腕や肩を回したりしながらも色々と説明をしてくれ

ほぐしてくれました。

一気に元には戻りませんが、動きが楽になった。

帰ってからも、やった方がいい動きなどを教えていただきました。

で、かなりのダメージだった筈だ、相当痛かったんじゃないの?

と言われました。

(はい、無謀にもかなりの坂を転がり落ちたのです。)

しかも1人だったし、誰もみてないから、周りには言わないと気づかれなかった。

でも、最近動かしたくなって来たのできっと良くなっているのだと思う。

と言うのは私の野生の勘です。

そこで施術中、世間話も沢山したのですが

フリーダイビングの話になり、

息を止めたらどう体が反応するかなどの話しや

呼吸法の話やビジュアライゼーションの話をして

興味を持ってくれて、そしてオステオパシーを受けに来る人たちにも役立ちそうだから、

逆にとても勉強になった。

どこかで教えたらきっと沢山の人に効果があると思うな〜

と言っていただき

クリニックを後にしました。

やはり、まずは自分を癒し 身体を労わります。

神業?!自転車の修理

自転車の修理、面倒くさくて一日延ばしたのですが、

翌日は晴れて、

お散歩日和、

運河沿いの道を通って自分で自転車修理の出来るBike Kitchenというお店へ

この自転車、、3つあるギアのうち一番軽いギアが上手く入らなくていつも重いギアで走っていたので、それをこのお店は工具を貸してくれて自分で直せるのです!

分からないことはそこにいるスタッフがアドバイスしてくれます。

1時間15£の使用料、新しい部品が必要な時はあればそこで買えるようです。

で、そこへ重いギアをこいで持っていくと、2人ほど中で持ち込んだ自転車を直している人と、

店先には子供が自転車を直していてお母さんとそのお友達が世間話をして和やかムード、

お店にいた、ボーイッシュな女の子に状況を話すと、早速 自転車をチェックしながら、

この自転車はいつから使っているの?というような質問をしてきたので、

この自転車は25歳になるのよ。

と言うと、ワァオ!という目で私をみて来ました。

自分でちょっと修理しようと頑張ったけど、よく分からなくて

と言うと、多分ここかもしれない、といって、ホイールの中のギアチェンジをする筒を指差しギアのチェーンの部分を右に左にねじったりしていました。

その間10秒か15秒、、、で

ちょっと運転してみてもいい?

と聞いて来たので、どうぞお願いします。

と言うと、お店の前の歩道をぐるぐるギアを変えながらゆっくり走って、

タイヤの空気入れないと全然圧が足りないわ。

と言いながら

ちょっと試してみて、と言われて

乗ってみると、普通にギアが変えられるようになってる!?

あれ?!何で?

いつのまに?!どうやって?

さっきのあのネジネジ回していただけで?

と 言うと、ちょっと調節できてなかったみたい、って言うではないですか!

わぁ〜お!

で自転車の空気入れを持ってきて100psi になるまで空気入れてね!

と言われて、両方のタイヤに空気を入れて、

いくらですか?と聞いたら

Nothing!って手を降ってきました。

Amazing!!

なんて素敵なお店だろうか!

ありがとう!と言ってお店を出たら世間話をしていたお母さんの1人が私の自転車を見て

その自転車 乗ってて盗まれるの心配じゃない?

と聞かれました。

確かに、よく盗まれやすいから気をつけてね!

と道すがら言われたことがあったので、なるべく置いて離れないようにしてて、お買い物でも目の届くところに繋いでおいたり、長時間は放置しないようにしてる。

と言うと、やっぱりそうよね、、

と頷いていました。

帰りはスイスイ!

気持ちいいので、公園で日向ぼっこ

芝生に寝転んでましたが、みんなもそうでした。

そして今日も運河の周りには子連れの水鳥が沢山いました〜

旅を始めた頃 91年〜97年の旅日記

小学生の頃、地球儀を見て日本って小さいなぁ、

世界ってなんて広いんだろう

全てを訪ねることってできるかなぁ?と一人心の中でつぶやいていた私。

かれこれ 36〜7カ国を訪ねました。

まだブログができる前の頃に作ったホームページを閉じることになったので

その一部をこちらに書き残しておこうと思いました。

1991年から2001年、そして おまけで2006年と2007年の写真。

駆け足で昔々の長期旅行を綴った旅行記です。

初めての海外!
New York 13~26.Feb. 1991

初めての海外旅行… 私が持っていったカメラは
結構古い、手巻きで巻き上げて,フォーカスも手動,
絞りのようなものもついていたコンパクトカメラ。
…なので操作を知らない友達に撮ってもらった写真はすべてこんな感じ

すご~く寒かった2月 ダンスのレッスンスタジオまで
歩いた,歩いた,たしかホテルは49 west 44th street
Fifth と sixth avenuesの間で,そこからセントラルパークのあたりまで…

うっすらと遠くにツインタワーが写ってる

私がダンスに夢中になっていた頃です。

振り付けなんかもして、発表会やショーに出たり。

ビギナークラスをうけもったり、リズム体操なんかも教えていた私

やりきった感が帰国後湧いてきて、このあと9月にダンスをやめました。

初めて行ったタイ旅行
Thailand 26/Dec/’98 ~ 11/ Jan/’99

カオサンロードならまだしも そんな格好でバンコク歩いたの?
そんな声が聞こえてきそうですが、振り返るとと若かった
荷物も背負ってる小さなリュックだけ、
でもこのあとロングの巻きスカートなんかを ちゃんと買ってお寺見学しました バンコクお買い物天国!!

パンガン島にて、

このころはハッドリンビーチとは反対側のビーチ(Ban Mae Hat)へ行くと

なぁ〜んにもなかった。今はかなり様子が違うようですね〜

ミャンマー旅行
Myanmar(Burma) 20/Aug ~ 2/Sep / 1999

旅のルート

タイから飛行機で首都ヤンゴンへ
周辺やBagoを周った後 列車に乗ってMandalayへ
Sagain,Mingun,Amarapuraを周った後 Ayeyawady川を下ってBaganへMt.Popaを遠目に
Thazi,Kalaw, Pindayaそして,Inle Lake,
そこからYangon航空でYangonへThailandを経由して
日本へ帰国

Pagodaの国
ミャンマーは豊かな自然の中に,多くの少数民族が暮らしています, その民族衣装も色とりどりでまた見所も沢山あります。 他国からの情報が入ってこないため旅行者に皆興味津々で, ただ恥ずかしそうにこちらを見てたり,ミャンマー語交じりの英語で 話しかけて来たりします。
の国で出会った人々は皆穏やかでいい人ばかりでした, いかに日本は平和な国かも知りました。
隣の写真はインレー湖のフローティングマーケットにて、 この近くのカローやピンダヤも小さな村ですが洞窟寺院などが あり必見です。必見といえばBagan! 仏教遺跡の町でここに行くには観光客は $10払いますが(1999年時点です)お勧めです
オールドバガンには広大な大地に9世紀から12~13 世紀に建てられた寺院やパゴダが点在していて、その群れに身を置いてみると昔まだ 人々が住んでいた頃一つ一つの寺院やパゴダに灯が燈され王様や皇女が行き交って いた様子がうかがえます。

Mandalay Hill

丘全体が寺院で夕日が落ちるのを眺めていたら お坊さんに“あの人たちがあなたと写真を撮りたいそうですが 構いませんか?”と聞かれ,見ると 10人ほどの人たちが恥ずかしそうに 様子をうかがっていましたその後一人づつと撮影会、 家族らしきおじさんに“腕、組んだらどうだい?” のようなことを言われたりして わきあいあいとしてくると、 その様子を遠くから見てて写真を撮っていた友達が 近づいてきて私に話かけると、みんな彼を見上げ (彼は身長約185cm,瞳は透き通ったブルー)
おばさんが“あら私こっちと一緒に撮りたいわ!!” らしきことをミャンマー語で口走り手早くロンヂーを直し, 髪を整え嬉しそう、言葉はわからなくても とっても分かりやすい表情でなんかかわいかった。

線路の上で朝ご飯

マンダレーへ行く途中 列車が止まった時、 皆さん外へ出てきて朝ご飯を食べ始めました。 揚げ物やドーナツのようなものを売りに来て 小さな子供がかめに入った水なんかも売っていたりして、 でもあまりお腹の調子が良くなかったので 何も買う気がなく、ただみていたら売り子の籠の中に ゆで卵を発見!これは大丈夫かも?と思い3個あったのを 全部買ってパンにはさんで食べました。しばらくすると またゆで卵を持ってきてて結構皆に好評です、 このあとのことも考えて私も4個ほど買ったら しばらくすると今度はザルいっぱいに ゆで卵を持ってきて(しかも茹でたて) もう買わないよ~そんなに食えるかー! と思いつつ
でも買っちゃった、、、

本屋のおじさん

ピンダヤの村で、一人の本屋をしてるおじさんに会いました。
おじさんは(少しの日本語と)
英語を勉強していていろいろと話をしてきました。
おじさんは政府の何か計画のために働いていたんですが
ある日突然その方針が変わりなぜかおじさんは
牢屋へ入れられてしまいました,3ヶ月後やっと釈放されたら,
家族は生活苦のため奥さんは実家へ帰っていて
もうどこへ行ったのか分からなかったそうです,
そして無一文からやっとのこと細々と本屋が開けるように
なったんだそうです。おじさんは「ミャンマーのお菓子だよ」
といって黒砂糖のようなかりんとうの砂糖だけのようなものをくれました。
そんなときに限って私はあげられる本もなく、
「明日朝早くここを出るから朝店の前に
本を置いていくからお店で売ってね。」といって帰りました。
次の日、朝まだあけない頃に見送りに起きて待っててくれたのです。
時々どうしてるのかと思い出すのでした。。。
日本から本なんて送っても絶対つかないし。
ただ,ただ,思い出すだけなんですけどね。

ネパールへ
Nepal 24/Dec/1999 ~ 13/Jan/2000

この頃、海抜ゼロでしか生活したことがない私にとって
3800mはまさにInto thin air!
空気が薄〜い、

でも早朝のヒマラヤ山脈は幻想的というか,なんと言うか,
早起きして散歩に出た朝、ふっと、見上げると
マチャプチャレが青い空に浮かび上がっててすかさず
カメラを取りに部屋へ戻ろうと引き返したら、
”Camera?”と,同じく散歩をしていたおじさん
が山脈に向かってシャッターを切る仕草をしてきました。

歩きつづけて,ふっと見上げると 山脈がそびえ立っていて,なんか感動,
トレッキング中の移動では座ると余計に疲れる気がして
立ち止まってもずーっと立ってた私
靴擦れがすごくて,ゲストハウスで裸足でいたら                   
皆が見てたようで次のポイントでばったり出くわすと
Hi, you could make it! How is your blister? 
は〜い!よくこれたね!靴擦れは大丈夫?
We saw your heel. 私たちあなたのかかと見てたのよ。。。
とねぎらいの言葉が…

トレッキング中,マルファで買ったアップルブランディ,

ミルクティ-に入れて飲むと温まって疲れも取れます。
後ろに立てかけたタイで買ったカラフルなお香は,トレッキング中バックパックのポケットに挿してたら
子供達が寄ってきて、指を指して何か言ってきたり,
飛びついてきてとられそうになったり… キャンディに 見えちゃったみたい。

Kathmanduの牛
通りをふさぐように座っていて びくともしない,
人が横を通ると 顔を動かして とおしてくれます。
Mariもやってみな!!というので私も試しに
ちょっと近づくと,ちょっと顔を動かして
“通るの?通んないの?”そんな感じにこちらを横目で見てきました。

ここは時間の流れ方が日本の都会とは明らかに違う

初のインド旅行
India 14/Dec/2000 ~ 27/Jan/2001

旅のルート
Delhiから寝台列車にバイクを積み2日かけてVasco Da Gama(Goa)へ
Anjuna Beach,Colva Beach, Palolem Beach,と移動,
そしてMangalore,Sravanabelagola, Srirangapatnam, Ooty, Kodaikanal,
Maduraiと来てまた列車で3日かけてDelhiへ行き,
Agra, Fatehpur Sikri,Jaipur, Pushkar, JaipurそしてDelhiから帰国T

Udhagamandalam(Ooty)の周りはニルギリという茶畑が 沢山あり
(山全部といっていいかも)バイクで走ってると 子供たちがニコニコと笑いかけてくる。
途中バイクを降りて子供達のいる方へ近づいていくと 向こうも興味津々,デジカメで写真を
撮って皆に見せると歓声がわいて母親を呼んで大騒ぎ, ここの村の子は純粋にかわいかった。

あなたはどうやってそこへ入ったの???

プシュカルのサイババゲストハウス
通りで出会うと必ずついてくる牛、
彼女はとてもフレンドリー 実は牛好きな私です。クリンとした目が愛らしい!

インドではもうここには書き尽くせないほどのハプニングがあり、

笑い話がつきません!! (その時は腹がたっても後で笑える)

好き嫌いはあれど

話す人によって感想が/受け取り方がかなり違うということもあります。

呼ばれていると思う方は、是非行って見てください。

今も先住民が暮らしているニューメキシコ州
New Mexico25/Sep ~ 12/Oct/2000

TexasのLubbokから車で約6時間
New MexicoのTaos近くのCabinへ,
途中の州境のあたりで Cow boy bootsを買って上機嫌
LasVegasへも (あのカジノで有名な所と同じ名前です)
寄ったりCabin周辺でトレッキングやTaosのPuebloへ
Santa Feで2日滞在してTexasから日本へ

これは、Taosの教会

アメリカなのにNew Mexico ここは本当にアメリカなの?そんな風に思うくらい建物や景色が違って 多分アメリカではここが一番好き!といってしまいたい。

Santa Feのホテルのレストラン窓ガラス一つ一つに手書きの絵が かわいかった。

人懐こい馬とミュール (馬とか牛好きの私)

長期旅行の皮切りとなったトルコ
Turkey 〜 25.August.2001-19.September.2001
当時の予定はトルコから陸路で(シリア、ヨルダンなどを抜けて)エジプトへくはずでした。

ブルーモスクの前でおじいさんが編み物をしながら世間話中

はたまたここも、時間の流れが違うなぁ〜

ゼルヴェ峡谷野外博物館
ゴレメはケーブルームがあちこちにあって見所いっぱい、9日間滞在しました!

きのこ岩で有名なパジャパー

トルコといえばカーペット!?

素敵な絨毯は壁掛けとしてもいいですね〜

そして、ロードトリップへ
トルコ旅行の最中、方向転換を余儀なくされ、、、ルーマニア、ハンガリーへと向かいました。

その後アメリカはテキサスへ、クリスマスを過ごした後 車を手に入れメキシコへ入国、西海岸沿いから南へ向かいメキシコシティーを抜けて東へ、そしてベリース入国、、、小さな国で2日後にはグアテマラ入国2月末にホンジュラスに到着、フェリーに乗りウティラ島へと着いたのでした。ここでまさかの約4年が過ぎ、、、

2005年11月アメリカへ戻りました。

そして、、今は呼び名が変わりましたが昔のルート66を車でたどりニューメキシコ州、アリゾナ州、カリフォルニア州のLAまで

ラスベガスではルート66は通っていませんでしたが、道で見かける看板が可愛い!

この後2006年タイへ向けてひとっ飛び!

アジアの旅行へ、、、タイから始まりマレーシア、ボルネオへ行きそこからフィリピンへ  そしてフィリピンからモルディブへと移ったのでした。

初めてのエジプト ダハブ
Egypt-Dahab & Sharm el Sheikh 2007 Oct-Nov

長期旅行を計画した2001年の最終目的地はエジプトでした。
トルコへ着いた後状況が変わりその後はエジプトからどんどん遠ざかって行きました。

それから約6年後ようやく訪れる事が出来ました。ただ、今回はほんの2週間。
宿の窓から、毎朝きれいな朝日が差し込みます。 屋上に行くと夕日がきれい。

ダハブ、反対側にはサウジアラビアが見えます。

ヤギもこんな近くで見たの初めてだった!

気が合いそうならくだを自分で選ぶ、この子は初めに目が合った。

大型動物と縁がある?ラクダに乗ってダイビングサイトへ

懐かし〜!!

この時から12年が経とうとしています。

そして、ウキウキ、ワクワクを求めて 旅は続きます。