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旅を始めた頃 91年〜97年の旅日記

小学生の頃、地球儀を見て日本って小さいなぁ、

世界ってなんて広いんだろう

全てを訪ねることってできるかなぁ?と一人心の中でつぶやいていた私。

かれこれ 36〜7カ国を訪ねました。

まだブログができる前の頃に作ったホームページを閉じることになったので

その一部をこちらに書き残しておこうと思いました。

1991年から2001年、そして おまけで2006年と2007年の写真。

駆け足で昔々の長期旅行を綴った旅行記です。

初めての海外!
New York 13~26.Feb. 1991

初めての海外旅行… 私が持っていったカメラは
結構古い、手巻きで巻き上げて,フォーカスも手動,
絞りのようなものもついていたコンパクトカメラ。
…なので操作を知らない友達に撮ってもらった写真はすべてこんな感じ

すご~く寒かった2月 ダンスのレッスンスタジオまで
歩いた,歩いた,たしかホテルは49 west 44th street
Fifth と sixth avenuesの間で,そこからセントラルパークのあたりまで…

うっすらと遠くにツインタワーが写ってる

私がダンスに夢中になっていた頃です。

振り付けなんかもして、発表会やショーに出たり。

ビギナークラスをうけもったり、リズム体操なんかも教えていた私

やりきった感が帰国後湧いてきて、このあと9月にダンスをやめました。

初めて行ったタイ旅行
Thailand 26/Dec/’98 ~ 11/ Jan/’99

カオサンロードならまだしも そんな格好でバンコク歩いたの?
そんな声が聞こえてきそうですが、振り返るとと若かった
荷物も背負ってる小さなリュックだけ、
でもこのあとロングの巻きスカートなんかを ちゃんと買ってお寺見学しました バンコクお買い物天国!!

パンガン島にて、

このころはハッドリンビーチとは反対側のビーチ(Ban Mae Hat)へ行くと

なぁ〜んにもなかった。今はかなり様子が違うようですね〜

ミャンマー旅行
Myanmar(Burma) 20/Aug ~ 2/Sep / 1999

旅のルート

タイから飛行機で首都ヤンゴンへ
周辺やBagoを周った後 列車に乗ってMandalayへ
Sagain,Mingun,Amarapuraを周った後 Ayeyawady川を下ってBaganへMt.Popaを遠目に
Thazi,Kalaw, Pindayaそして,Inle Lake,
そこからYangon航空でYangonへThailandを経由して
日本へ帰国

Pagodaの国
ミャンマーは豊かな自然の中に,多くの少数民族が暮らしています, その民族衣装も色とりどりでまた見所も沢山あります。 他国からの情報が入ってこないため旅行者に皆興味津々で, ただ恥ずかしそうにこちらを見てたり,ミャンマー語交じりの英語で 話しかけて来たりします。
の国で出会った人々は皆穏やかでいい人ばかりでした, いかに日本は平和な国かも知りました。
隣の写真はインレー湖のフローティングマーケットにて、 この近くのカローやピンダヤも小さな村ですが洞窟寺院などが あり必見です。必見といえばBagan! 仏教遺跡の町でここに行くには観光客は $10払いますが(1999年時点です)お勧めです
オールドバガンには広大な大地に9世紀から12~13 世紀に建てられた寺院やパゴダが点在していて、その群れに身を置いてみると昔まだ 人々が住んでいた頃一つ一つの寺院やパゴダに灯が燈され王様や皇女が行き交って いた様子がうかがえます。

Mandalay Hill

丘全体が寺院で夕日が落ちるのを眺めていたら お坊さんに“あの人たちがあなたと写真を撮りたいそうですが 構いませんか?”と聞かれ,見ると 10人ほどの人たちが恥ずかしそうに 様子をうかがっていましたその後一人づつと撮影会、 家族らしきおじさんに“腕、組んだらどうだい?” のようなことを言われたりして わきあいあいとしてくると、 その様子を遠くから見てて写真を撮っていた友達が 近づいてきて私に話かけると、みんな彼を見上げ (彼は身長約185cm,瞳は透き通ったブルー)
おばさんが“あら私こっちと一緒に撮りたいわ!!” らしきことをミャンマー語で口走り手早くロンヂーを直し, 髪を整え嬉しそう、言葉はわからなくても とっても分かりやすい表情でなんかかわいかった。

線路の上で朝ご飯

マンダレーへ行く途中 列車が止まった時、 皆さん外へ出てきて朝ご飯を食べ始めました。 揚げ物やドーナツのようなものを売りに来て 小さな子供がかめに入った水なんかも売っていたりして、 でもあまりお腹の調子が良くなかったので 何も買う気がなく、ただみていたら売り子の籠の中に ゆで卵を発見!これは大丈夫かも?と思い3個あったのを 全部買ってパンにはさんで食べました。しばらくすると またゆで卵を持ってきてて結構皆に好評です、 このあとのことも考えて私も4個ほど買ったら しばらくすると今度はザルいっぱいに ゆで卵を持ってきて(しかも茹でたて) もう買わないよ~そんなに食えるかー! と思いつつ
でも買っちゃった、、、

本屋のおじさん

ピンダヤの村で、一人の本屋をしてるおじさんに会いました。
おじさんは(少しの日本語と)
英語を勉強していていろいろと話をしてきました。
おじさんは政府の何か計画のために働いていたんですが
ある日突然その方針が変わりなぜかおじさんは
牢屋へ入れられてしまいました,3ヶ月後やっと釈放されたら,
家族は生活苦のため奥さんは実家へ帰っていて
もうどこへ行ったのか分からなかったそうです,
そして無一文からやっとのこと細々と本屋が開けるように
なったんだそうです。おじさんは「ミャンマーのお菓子だよ」
といって黒砂糖のようなかりんとうの砂糖だけのようなものをくれました。
そんなときに限って私はあげられる本もなく、
「明日朝早くここを出るから朝店の前に
本を置いていくからお店で売ってね。」といって帰りました。
次の日、朝まだあけない頃に見送りに起きて待っててくれたのです。
時々どうしてるのかと思い出すのでした。。。
日本から本なんて送っても絶対つかないし。
ただ,ただ,思い出すだけなんですけどね。

ネパールへ
Nepal 24/Dec/1999 ~ 13/Jan/2000

この頃、海抜ゼロでしか生活したことがない私にとって
3800mはまさにInto thin air!
空気が薄〜い、

でも早朝のヒマラヤ山脈は幻想的というか,なんと言うか,
早起きして散歩に出た朝、ふっと、見上げると
マチャプチャレが青い空に浮かび上がっててすかさず
カメラを取りに部屋へ戻ろうと引き返したら、
”Camera?”と,同じく散歩をしていたおじさん
が山脈に向かってシャッターを切る仕草をしてきました。

歩きつづけて,ふっと見上げると 山脈がそびえ立っていて,なんか感動,
トレッキング中の移動では座ると余計に疲れる気がして
立ち止まってもずーっと立ってた私
靴擦れがすごくて,ゲストハウスで裸足でいたら                   
皆が見てたようで次のポイントでばったり出くわすと
Hi, you could make it! How is your blister? 
は〜い!よくこれたね!靴擦れは大丈夫?
We saw your heel. 私たちあなたのかかと見てたのよ。。。
とねぎらいの言葉が…

トレッキング中,マルファで買ったアップルブランディ,

ミルクティ-に入れて飲むと温まって疲れも取れます。
後ろに立てかけたタイで買ったカラフルなお香は,トレッキング中バックパックのポケットに挿してたら
子供達が寄ってきて、指を指して何か言ってきたり,
飛びついてきてとられそうになったり… キャンディに 見えちゃったみたい。

Kathmanduの牛
通りをふさぐように座っていて びくともしない,
人が横を通ると 顔を動かして とおしてくれます。
Mariもやってみな!!というので私も試しに
ちょっと近づくと,ちょっと顔を動かして
“通るの?通んないの?”そんな感じにこちらを横目で見てきました。

ここは時間の流れ方が日本の都会とは明らかに違う

初のインド旅行
India 14/Dec/2000 ~ 27/Jan/2001

旅のルート
Delhiから寝台列車にバイクを積み2日かけてVasco Da Gama(Goa)へ
Anjuna Beach,Colva Beach, Palolem Beach,と移動,
そしてMangalore,Sravanabelagola, Srirangapatnam, Ooty, Kodaikanal,
Maduraiと来てまた列車で3日かけてDelhiへ行き,
Agra, Fatehpur Sikri,Jaipur, Pushkar, JaipurそしてDelhiから帰国T

Udhagamandalam(Ooty)の周りはニルギリという茶畑が 沢山あり
(山全部といっていいかも)バイクで走ってると 子供たちがニコニコと笑いかけてくる。
途中バイクを降りて子供達のいる方へ近づいていくと 向こうも興味津々,デジカメで写真を
撮って皆に見せると歓声がわいて母親を呼んで大騒ぎ, ここの村の子は純粋にかわいかった。

あなたはどうやってそこへ入ったの???

プシュカルのサイババゲストハウス
通りで出会うと必ずついてくる牛、
彼女はとてもフレンドリー 実は牛好きな私です。クリンとした目が愛らしい!

インドではもうここには書き尽くせないほどのハプニングがあり、

笑い話がつきません!! (その時は腹がたっても後で笑える)

好き嫌いはあれど

話す人によって感想が/受け取り方がかなり違うということもあります。

呼ばれていると思う方は、是非行って見てください。

今も先住民が暮らしているニューメキシコ州
New Mexico25/Sep ~ 12/Oct/2000

TexasのLubbokから車で約6時間
New MexicoのTaos近くのCabinへ,
途中の州境のあたりで Cow boy bootsを買って上機嫌
LasVegasへも (あのカジノで有名な所と同じ名前です)
寄ったりCabin周辺でトレッキングやTaosのPuebloへ
Santa Feで2日滞在してTexasから日本へ

これは、Taosの教会

アメリカなのにNew Mexico ここは本当にアメリカなの?そんな風に思うくらい建物や景色が違って 多分アメリカではここが一番好き!といってしまいたい。

Santa Feのホテルのレストラン窓ガラス一つ一つに手書きの絵が かわいかった。

人懐こい馬とミュール (馬とか牛好きの私)

長期旅行の皮切りとなったトルコ
Turkey 〜 25.August.2001-19.September.2001
当時の予定はトルコから陸路で(シリア、ヨルダンなどを抜けて)エジプトへくはずでした。

ブルーモスクの前でおじいさんが編み物をしながら世間話中

はたまたここも、時間の流れが違うなぁ〜

ゼルヴェ峡谷野外博物館
ゴレメはケーブルームがあちこちにあって見所いっぱい、9日間滞在しました!

きのこ岩で有名なパジャパー

トルコといえばカーペット!?

素敵な絨毯は壁掛けとしてもいいですね〜

そして、ロードトリップへ
トルコ旅行の最中、方向転換を余儀なくされ、、、ルーマニア、ハンガリーへと向かいました。

その後アメリカはテキサスへ、クリスマスを過ごした後 車を手に入れメキシコへ入国、西海岸沿いから南へ向かいメキシコシティーを抜けて東へ、そしてベリース入国、、、小さな国で2日後にはグアテマラ入国2月末にホンジュラスに到着、フェリーに乗りウティラ島へと着いたのでした。ここでまさかの約4年が過ぎ、、、

2005年11月アメリカへ戻りました。

そして、、今は呼び名が変わりましたが昔のルート66を車でたどりニューメキシコ州、アリゾナ州、カリフォルニア州のLAまで

ラスベガスではルート66は通っていませんでしたが、道で見かける看板が可愛い!

この後2006年タイへ向けてひとっ飛び!

アジアの旅行へ、、、タイから始まりマレーシア、ボルネオへ行きそこからフィリピンへ  そしてフィリピンからモルディブへと移ったのでした。

初めてのエジプト ダハブ
Egypt-Dahab & Sharm el Sheikh 2007 Oct-Nov

長期旅行を計画した2001年の最終目的地はエジプトでした。
トルコへ着いた後状況が変わりその後はエジプトからどんどん遠ざかって行きました。

それから約6年後ようやく訪れる事が出来ました。ただ、今回はほんの2週間。
宿の窓から、毎朝きれいな朝日が差し込みます。 屋上に行くと夕日がきれい。

ダハブ、反対側にはサウジアラビアが見えます。

ヤギもこんな近くで見たの初めてだった!

気が合いそうならくだを自分で選ぶ、この子は初めに目が合った。

大型動物と縁がある?ラクダに乗ってダイビングサイトへ

懐かし〜!!

この時から12年が経とうとしています。

そして、ウキウキ、ワクワクを求めて 旅は続きます。

インド 〜リワサー、リシケシュ、ゴア〜 写真

写真をアップしてみました。
これはリワサーの猿、人に慣れていてかわいかた。
リシケシュのガンガー
これが噂のゴア・エクスプレス ローカル用車両
ゴアです。
ここでは一度も海に入らなかったけど毎日夕日を眺めていました。

Goa Express インドの列車の中での出来事 〜続き

前回のエントリー
こちら⏬です
Goa Express の続きです。
ゴアに向かって走り出して初日の夜、多分11時ころについた駅で大量に乗客がなだれ込んできました。
その数が半端じゃありません!しかも無理やり乗り込んでしかもすごい荷物なのでみんなそれに重なるように乗ってきます。
天井に手が届くくらい!網棚の上はもちろん、金網にしがみついていたりサロンやタオルを結わえてハンモックにしてみたり。。。汗
日本のラッシュアワーみたいなんですが でも、これで何時間移動するんだろう!?
次の駅まで6時間くらいあるのに。。。
こんな光景はきっと、二度と見ることはないのではないでしょうか。。。
と思ってしまった。
あまりすごいんで写真も取れなかった。。。
そして恰幅のよいおばさんはそんなことはお構いなしに3人分の場所をゆうに占領して寝ていました。朝になりむくっと起きだしたら、私の隣の人が私におばさんの隣に座るように言ってちょっと席に余裕ができました。
周りの 様子を伺って地べたに座っている女の子とお母さんを見たら急に回りの男の人に大声で指図をしていました。
あなた男なんだから除けなさいとか、そんなことを言っている感じでした。でも、おじさんたちもしぶしぶ場所を分けてあげてたりして。。。
ハハハ、、、苦笑するしかないですよね。

デリー そして Goa Express! で ゴアまで

今朝の7時にゴアにつきました。
そして今はアランボルと言うビーチにいます。
今回は、とっても、とぉーっても興味深い移動でした。デリーまではエアコンのスリーパーで同じコンパートメントにはベンガリーの家族が一緒でした。
ずーっとお話をして6時間が過ぎました。(朝3時半おきだったので寝ておきたかったけど。。。)
とってもいい人たちでメールアドレスの交換までしました。

そして、デリーについてチケットカウンターに直行してゴア行きのチケットを買ったんですが。
285ルピーでデリーまでのチケットより安いなーと思ったら 一番安い席で二日間椅子に座っていかないといけない切符だったのです!
。。。しかもすごい人ばっかり。

とにかく駅員さんに確認したら気の毒そうな顔をされ、あなたの車両はこの3つのどこでもいいんだよと言われました。
すでに人でいっぱい!
とにかく乗り込んで席を確保しました。
乗り込んだ瞬間みんなが、えっっ?という目で見ています。
荷物をベンチの下に収めてじーっと座って周りの様子を伺っていると
まず大きなシーク教のおじさんがでんと椅子に座って一緒に連れてきたっぽい弟の席確保をしていました。
誰かがそこに座ろうとするとすごい剣幕で追い立てていました。
他にも席を確保している人がいてほぼ満員です。
そこにまた大きな(恰幅のよい)おばさんが大きな荷物を抱えてきてでんと座りました。
また剣幕でおいた払おうとしたら、このおばさんは更に剣幕で言い返しだしました。
それを聞いているインド人はみんな大爆笑しています。
かなりの間言い合いが続き、その間みんな大笑いで聞いています。
特におばさんが何か言うたびにみんな笑っていました。
私の勝手な想像ではまずおじさんがこの席はもう人が決まっているからどけ!と言ったんだと思います。
それに対しておばさんはあんた!何様のつもりで話してるの!ぐらいの感じで始まったんではないかと思います。。
で更にエスカレートしてお互いつかみかかりそうな勢いになったら、誰かがおばさんにこっちに空いてる席があるからとか何か言われたようで移動させられました。
でも、数分経ったらまた私たちのブースに戻ってきて、どうしても私たちのところに座りたいようで無理やり場所を作りました。
すごい、、、で列車は走り出しました。
みんなが色々はなしていると突然みんなの視線が私に集まっているのに気づき
、??どうしてみんな私を見てるの?と思ったらおばさんが私にどこまで行くのか聞いていたようです。ヒンディーわからないんで英語でゴアまでと言ったらどこから来たの?ときかれ日本人ですと言うと。何でこんな席に座っているんだとか、旅行者用にスリーパーはよけてあるはずだとか言われました。
相当この場にいることがそぐわないと言った感じで 、質問が始まり。
一番英語が話せる人がみんなに説明しています。

で、一人で旅行しているの? ”はい” 驚きの顔
インドにはどのくらいいるの? ”4ヶ月ちょっと” 更に驚きの顔。
インドに一人で4ヶ月?と2回くらい繰り返し、で?感想は?
”とても楽しいし私はインドが気に入っているし。。。”信じられないと言う感じで、でも、何か嫌な思いしたんじゃないの?と言う質問に、 ”ぜんぜん、私嫌なことは思い当たらないよ。”
と言ったら、、、いやいや、きっとそれまでは観光客が多いところだったからでこんな車両に乗ったらインドの素顔が明かされるー!とっています。
そして、荷物は常に自分のそばから話すんじゃないよとか、変な人について言っちゃだめだよとか
真剣に心配しています。しまいには飛行機で行けば2時間半で着いたのにとかいっています。
”でも、私もうここにいるし列車出発しちゃったからねー”と言うと、本当に何度も気をつけろといっていて、周りのみんなと話し合っています。
4ヶ月のいい思い出がここで嫌な思いをすることで” 嫌な旅だった”になってしまうことが許されない!!
と言っています。何か更に不安になってしまったんですが、、、
ただ、この人たちと座っていて嫌な思いは全然ないからきっと大丈夫だな、と心の中では思っていたら。
実際、みんな色々と気を使ってくれました。
食事のオーダーやら駅に止まって新しい乗客が来ると私の近くに座らないようにしたり、夜寝てるときも両脇にぴったり護衛がつき、そーっと手を伸ばしてくるおじさんの手を防いでくれたりしました。
右の首が疲れると右の肩に頭を乗せ、左が疲れると左の肩にたまには腕枕もしてくれた。。。

何てみんな良い人なんだろう!!とひと時も嫌な思いをすることなく、そして恰幅のいいおばさんはマナーが悪い人に剣幕で起こり時々ジョークを飛ばしているようでした。
デリーから出発した人が一人また一人と降りて行き、プネに着いたらデリーから一緒の人は一人もいなくなったのですが、途中から来た人もいい人ばかりで最後の最後までやさしくされました。

でも、一瞬すごい場面を目にします。

この話は次回と言うことで、今日は無事ゴアにつき、会いたかった人にも道でばったり会うことができました。

Last night in Leh – Manali – McLeod ganj レーとマナリとダラムサラの写真

滞在最後の夜、私のためにモモを作ってくれました。
モモとはダンプリンの様なもので日本の餃子に近いです。
おばあちゃん、言葉は通じませんが良い味出してます。
お父さんはちょっと遅く帰ってきたので写真撮ってるときにはいなかった。
マナリヘ向かう道、土砂崩れのため通れない道がまだあり、100キロぐらい遠回りですが景色はよかったです。
オールドマナリ、標高が低くなると緑が多くなってきます。

ダライ・ラマのいるところ、ダラムサラへ…

マクロードガンジ
ゲストハウスからの景色
ミニバスの中

砂埃がすごいのでこのマスクが大活躍