久しぶりのエントリーになりましたが,ここ2週間ほどいろいろな事がありました。
新しい時空連続帯に入っているからか、色々な気づきやいい意味での揺さぶりが来たり。
そんな中、ある映画を観る機会がありました。
そのシネマは2日間だけ限定上映されるというのをお友達から紹介されて日時を調べたら最終の回は予定が空いていたので行けそうでした。そして直ぐに予約をしました。
小さなシネマはマックス16人ほどで、最終回のみ上映後座談会があり、それぞれの方達が感想をのべるというのも、その場にいた方達の想いが共有できて素敵だなと思いました。
* 阿寒湖畔のアイヌコタンで暮らす14歳のカントは,父の死をきっかけにアイヌの活動に参加しなくなる。アイヌ文化と距離を置く一方,高校進学のため故郷を離れる事を予定していた。そこに亡き父の友人に任され,密かに子熊の世話をする事になる。
というのが映画のあらすじです。
私はこの映画とても複雑な気持ちで観ていました。アイヌ文化や蝦夷についての事を思ったり,日本の文化や日本人のアイデンティティについて。
そして,この映画の中での動物に対しての接し方扱い方,きっと本当はこんなんじゃなかったはずだ。いわゆる現代人の発想から来る演出に対する違和感、わざとそうしたのか時々突っ込みたくなる演出など、
凄く深層心理をついていて引き込まれてました。
座談会が始まって、シネマを立ち上げたお2人が監督さんとの話をしてくれたり、モシリのりの字は小文字が正解だと言う話を聞きました。
そして順番に感想を聞いていくのですが、私の番にきて徒然と思いを述べていたら、2人とも大きく頷きながら聞いてくれていましたが、
その後に続く皆さんのお話も興味深くて、皆んながそれぞれの気持ちを発していました。
私の中で違和感を感じたシーンの中に子熊を小さな檻に入れて飼っているシーンがありました。でも、アイヌの文化としてこんな事をしていたと言う説明と、そのシーンがとてもそぐわないのです。
檻に入れられて育ったら幸せな筈が無いし、きっと本当はもっと身近に一緒にいたに違いないと思ったのです。
そして、そんな私の思いを後日友達に話していたら
昔、ロシアで熊と一緒に生活している人達がいて、熊も一緒にお酒を飲んでタバコも吸って人間の様に生活をしていたそうです。戦争が起きた時、一緒に戦いまではしないまでも熊は力持ちなので荷物を運ぶ手伝いをしたんだそうです。
容易にその光景が浮かびました。
秋田はアイヌの最南端の地だと最近知りました。秋田の地方によっては蝦夷のいた頃の話はあまり話したくない方がほとんどな様です。良い記憶が無いからだと思います。
こう言う映画で少しでも昔の日本や先住民族について知っていく人が増えるといいなと思いました。
